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札幌高等裁判所 昭和57年(う)108号 判決 1982年10月28日

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中一〇〇日を原判決の刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人村岡啓一提出の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官板山隆重提出の答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第一について

所論は、原審において、弁護人は、本件の捜査手続には憲法の基本的人権の保障規定の趣旨を没却するような重大な違法があり、右違法がなかりせば起訴もなかりしという相関関係がある以上訴訟そのものが排除されるべきであるとして、本件公訴は棄却されるべきである旨主張したのに対し、原判決は、この主張に対する判断を示していないから、原判決には刑事訴訟法三七八条四号にいう判決に理由を附さない違法がある、というのである。

しかしながら、原判決を検討すると、原判決は所論の主張に対する判断を示していると解されるだけでなく(とくに、原判決の「公訴棄却の主張に対する判断」三参照)、刑事訴訟法三七八条四号にいう「判決に理由を附せず」とは、刑事訴訟法三三五条一項の規定に基づいて有罪判決に示さなければならないとされている理由の全部又は一部を示していない場合をいうものであって、所論のような公訴棄却の主張に対する判断を示すかどうかは右三七八条四号の問題ではないと解されるから、論旨は理由がない。

控訴趣意第二について

所論は、要するに、本件覚せい剤の押収及び被告人の現行犯逮捕並びに勾留の手続には憲法三三条ないし三五条に違反する重大な瑕疵があり、これらは訴訟障碍事由を形成し、本件公訴の提起は無効であり、刑事訴訟法三三八条四号の規定の準用によって公訴棄却の判決がされるべきであるのに、原審が公訴を棄却しないで有罪の判決をしたのは違法であり、原判決は破棄を免れないといい、その事由を詳論するものである。

そこで検討すると、原判決挙示の各証拠によれば、原判決が「公訴棄却の主張に対する判断」二1において認定する事実はすべてこれを肯認することができ、右認定を動かすに足りる信ずべき証拠はなく、右認定事実によれば、原判示の小原警部補らが、原判示の居酒屋の経営者である奥山義雄から被告人が多量の覚せい剤を所持している旨の通報を受けて、右居酒屋前に急行し、次いで同店から出てきた被告人を追尾して原判示の名店ビル前に行き、同所において被告人に対する職務質問を行い、原判示の経過のすえ、小原警部補が被告人に対し覚せい剤の所持について問いただし、被告人がこれを否定すると、それ以上質問や説得などを重ねることなく、直ちに、小原警部補及び畠中巡査が、被告人の手や腕を押えるなどして被告人の身体を拘束し、被告人から明示又は黙示の承諾があったと認めることのできない状況のもとで、被告人のジャンパーの両脇ポケット内に手を差し入れたりズボンのポケットに手を触れたり更にジャンパー左上腕部ポケットのチャックを開けて在中の覚せい剤入りビニール袋九袋を取り出すなどした行為は、明らかに強制にわたり刑事訴訟法上の捜索に類する行為であったとみるほかなく、原判決が指摘するとおり、右は任意手段として認められている警察官職務執行法二条に基づく職務質問及びこれに附随する所持品検査に許容される範囲を越えた措置であったといわなければならない。

しかしながら、小原警部補らが右行為に及ぶにいたった経緯に関する前記認定事実に関係証拠を合わせて更に検討すると、小原警部補らにおいては、本件職務質問を行う約一か月前ころ、札幌市中央区薄野地区の界わいのいわゆる客引きから被告人が覚せい剤の密売をしているとの風評のあることを聞き、これについて前記奥山から事情聴取をしたりしていたところ、本件当日午前四時三〇分ころ、奥山から、被告人が現に多量の覚せい剤を所持して前記居酒屋に来ている旨の通報を受けたこと、その通報内容は匿名者や素性の知れない人物からのものではなく、小原警部補らが相当以前から面識のあった右奥山からの通報であり、通報の内容も、多義的に解釈されうるようなものではなく一義的かつ明確な内容のものであったこと(なお、被告人は、当日午前三時三〇分ころ右居酒屋に行き、奥山に対し、覚せい剤であることを明言して、自分が着ていたジャンパー左上腕部ポケットから本件覚せい剤九袋を取り出して見せた事実が明らかである。)、さらに小原警部補らが右通報を受けて原判示の居酒屋前に急行したところ、被告人が通報者の奥山とともに同店から出てきて前記名店ビル前に向ったことが現認されたが、この事実も右通報の内容の信頼性を裏付けるものであること、次いで更に、小原警部補らが名店ビル前で行った職務質問に対しても、被告人は率直に同警部補らの抱く嫌疑をはらす態度に出ることなく消極的に事実を否認するだけにとどまっていたことが認められ、これらの諸情況を総合すると、小原警部補らにおいては被告人について刑事訴訟法二一〇条にいう「長期三年以上の懲役にあたる罪を犯したことを疑うに足りる充分な理由」があり、かつ急速を要し逮捕状を求めることができないとして、被告人を緊急逮捕し、同法二二〇条一項によって被告人の身体を捜索することが許される状況にあったと認めるのが相当である。

してみると、同警部補らは、逮捕状及び捜索差押許可状がなくても、端的に被告人を覚せい剤所持罪の嫌疑によって緊急逮捕し、その現場において被告人の身体を捜索する権限を有していたものであるから、同警部補らが行った右所持品検査及びこれによって発見された覚せい剤所持の事実を理由とする被告人の現行犯逮捕並びにその現場で行われた右覚せい剤の押収は、法の執行方法の選択を誤ったにすぎない場合と同視しうるものであって、憲法三三条、三五条が規定する令状主義の保障を実質的に否定するものとはいえず、右押収、逮捕に憲法の右条項に違反する重大な瑕疵があるということはできない。

なお、所論は、右逮捕に引続いて行われた勾留が無効であるというが、そのようにいえないことは、控訴趣意第三に対する後記の判断中で説明するとおりであって、憲法三四条に違反する不法拘禁の事態があったとみることはできず、その他記録を精査しても、本件公訴提起を無効と解すべき事由があると認めることはできず、本件公訴を棄却しなかった原審の措置に所論のような違法はない。論旨は理由がない。

控訴趣意第三について

所論は、本件覚せい剤の押収及び現行犯逮捕手続には憲法三三条、三五条に、違反する重大な瑕疵があり、かつ、右逮捕に引続く勾留の手続にも違法の点があって勾留は無効であり、右覚せい剤及び右逮捕、勾留中に採取ないし録取された被告人の司法警察職員、検察官に対する各供述調書、被告人の尿に関する警察技術吏員作成の鑑定書、被告人の注射痕についての司法警察員作成の写真撮影報告書等は、すべてその証拠能力が否定されるべきであるのに、原判決がこれらの各証拠を採用して有罪の判断をしたのは違法であり、原判決には訴訟手続に関する法令違反があるといい、その事由を詳論するものである。

しかしながら、本件覚せい剤の押収及び現行犯逮捕手続に憲法三三条、三五条に違反する重大な瑕疵があるといえないことは、前記に説明したとおりである。次に、右現行犯逮捕に引続いて行われた被告人に対する勾留質問の手続に際し、小原警部補が勾留担当裁判官に対し、本件事犯の情報提供者の氏名が被告人に知られることになるような事態を回避しようとの配慮から、現行犯逮捕手続に関する事実経過について虚偽の申述をするなどしたことのあったことは原判示のとおりであるが、このような事実があるからといって、右勾留の裁判が違法無効なものになるとはいえない。その他記録を精査しても、所論の各証拠の証拠能力を否定すべき事由があるとは認められず、原判決に所論のような法令の違反はなく、論旨は理由がない。

よって、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における未決勾留日数の算入について刑法二一条を適用して、主文のとおり判決をする。

(裁判長裁判官 渡部保夫 裁判官 仲宗根一郎 大渕敏和)

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